米倉理事長と神田先生に対談していただきました
新春にあたり、米倉理事長と放射線防護研究センターの神田玲子先生に世の中の動きと放医研の進むべき方向性などについて、お話を伺いました。
広報課:平成21年には、政権交代があり、政治の世界で直接的に研究について議論する状況が生まれていますが、現在感じている事をお聞かせください。
理事長:政治主導そのものは悪くないと思っています。本当に研究の内容にまで踏み込んで、評価できてるのならよいのですが、それには戦略がいるはずです。現状では本当に踏み込んだ議論がされているとは思えません。
神田先生:私はこれまでリスクコミュニケーションに関わり、常に国民目線で考えていたつもりでしたが、まだまだ説明が足りないと際限なく言われているように感じていました。
広報課:研究成果が出るまでに、多くの時間を費やす必要がある事を国民の皆さんがあまり理解されていないのではないかと思うことがありますが。
理事長:研究開発に時間がかかるのは当然で、それを5年間で成果を求める中期計画に押し込むところに、もともと無理がありました。重粒子も15年経って成果が見えてきました。がんに関しては、昔は5年生存率と言っていましたが、今は最低10年見ないとちゃんとした成果にならない。ロングスパンの研究をやっているということをどう説明していくのかが、重要になると思います。
神田先生:私たちの前提として、研究というのは時間がかかり、5年、10年ごとに何らかの成果は出すにしても、かなり遠くに目標を持って、いずれ何かの役に立つということも同時並行で行っています。それを今、一般の方にどう理解してもらえるか?10年、20年前に比べて一般の人たちの批評、評論が厳しくなり、どう説明しても切り替えされてしまう。社会的な背景にのった上で、研究の説明をしなければならないのかなと感じています。
広報課:放医研がやっている重粒子線がん治療研究、分子イメージング研究、緊急被ばく医療研究、放射線防護研究やこれらを支える基盤技術研究は、どれも必要不可欠な研究分野であると思いますが、それをどう説明していけば良いのでしょうか。
理事長:放射線という切り口で本来の放医研のミッションを考えればとてもわかりやすい。4つのセンターは実に上手く作られており、低線量から高線量という軸がひとつ、放射線の防護と利用という軸がひとつあり、この軸が上手くかみ合う形で4つの分野に分かれている、こ れはとてもいい構造で、全体を統括するのが放医研です。これは切り離すことは出来ないし、放医研の一番の強みです。それぞれの分野でどこにウェイトをかけるのか、どういう形で伸ばし、説明するのかを各研究者で考えるようにしなければいけないと思います。
米倉義晴 理事長
広報課:放射線防護研究の説明はどうですか。
神田先生:具体的に心配している事例とそれに則した答えを出していきたいです。例えば子供のCT撮影による影響、職業上のレントゲン撮影による心配、住んでいる地域の放射線レベルなど、漠然とした答えではなく、質問に対し直球に返事を返すことが理想です。
理事長:それはとても大事な視点で、一般的なデータや全体としてのリスクではなく、「私は大丈夫なの?」という国民ひとりひとりの疑問に答えることが大切ですね。例えば、がん検診について日本人のがん検診率は低いですね。ただ個人が自分の問題として考えるようになるには、自分ががんになってからですね。放射線に関しても、なかなか自分のこととして捕らえにくい傾向があるようですね。
神田先生:医療放射線に関するアンケートで、中高生のお子さんを持つ人は子育ての経験上、放射線に対する知識があり、身をもって安全性を理解しているようです。逆に子供がいない人は「子供に放射線をあてる」ことに危険性を感じています。例えば医療機関でCT等検査をする時に、より丁寧に説明するなど「草の根的なこと」と、「マスメディアの利用で広める」という方法があるのではないでしょうか。
広報課:一般の国民の皆様に加え、医療関係者のために、放医研が必要な情報を出してあげることは大事だと思いますが。
理事長:放射線学会では教育講演として義務づけられていますが、他の学会に広めることが大切です。例えば脳外科医のカテーテルを使った操作や、循環器内科の冠動脈の狭窄など、患者さんに対する被ばく量は少なくありません。治療が大事だということで正当化されていますが、最適化されていないのが現実です。そういうところには積極的に防護の教育をしていくべきですね。
神田先生:細かい研究内容も大切ですが、放医研が放射線に対して一生懸命にやっている専門機関だということは浸透させたいですね。緊急被ばく棟を見学された方は、万が一のためにこれだけ準備しているということで、大変な仕事だと理解して下さいます。また、日本人のメンタリティとして、大変なことを一生懸命やっている人が理解される傾向にあるようです。見学に来る方たちだけでは、伝えるのに限界があるので、動画配信などで世間一般に伝えられると良いですね。
理事長:数分間の動画を各領域ごとに置いておくと良いですね。動画配信は、ぜひ広報課でやっていただきたいです!
広報課:動画の充実については広報課としても最重要課題のひとつとして取り組んでいきます。
神田玲子 先生
広報課:理想の放医研像とはどんなものでしょう。
理事長:長期間の研究を続けられることを保証できること、世界トップレベルの評価を受けること、見直しは、当然自分たちで行うことですね。そして2つの軸を一体としてやっていくことですね。
神田先生:独法評価委員の先生が表現されたことですが、放射線利用の明と暗の研究を総合的に行っている研究所だと言われました。これは古くて新しいテーマとしてずっと続けていくことですし、そこに存在意義があると思います。また、一般の方や行政から「何かあったら、まず放医研に聞いてみよう」と思ってもらえることが理想です。研究仲間からは、外から放医研を見て、具体的に研究者の顔と名前と仕事が一致するようになること、所内の人間としては、みなさんに愛社精神を持ってもらいたいです。放医研を出た時にはOBとして応援してもらいたいです。
広報課:研究や建物だけでなく、人にフューチャー出来たら良いですね。ホームページで人を紹介して安心感を持ってもらいたいですね。
神田先生:理系人間は興味を持たれやすいですし、放医研にはおもしろい先生がたくさんいますから。
理事長:そして、放医研の応援団を作りたい。そのためには人材が常に回っていることが大切です。放医研出身の若手研究者が世界に出て行った時に、放医研にいたことを誇りに思ってもらえるようにしたいですね。
広報課:世界からも年単位で放医研に滞在してもらいたいですね。
理事長:これだけ資源があるのだから来てもらって良い研究をする、そんな仕組みが良いのではないでしょうか。
神田先生:共同研究など、いろんな人が集える場所になるといいですね。
広報課:話がいきなり飛びますが、幼い頃は、どのようなお子さんでしたか。
理事長:私は科学少年と、ひょっとしたら鉄道少年だったかも知れません。SF小説を片っ端から読みました。図書館で借りたり、自分で買ったりたくさん読みました。もともと数学の緻密さよりも、どちらかというと空想の世界で生きている方が好きで、SFに凝っていました。
広報課:鉄道というのは?
理事長:旅行が好きだったのですが、小さい頃はいろいろな所にひとりで行けないので、鉄道の本を見て空想していました。時刻表が私の愛読書でした。高校生くらいからはひとり日帰りで、いろいろな所に行っていました。
広報課:初めてのひとり旅のことを教えて下さい。
理事長:夜行電車に乗って、石川県の金沢の知り合いの家に行きました。今では特急で2時間で着いてしまいますが、当時は夜行電車だったのですね。私は滋賀県の大津に住んでいましたが、何も準備せずにぷらっと乗って、自宅の電話番号だけを持って行きました。朝、いきなり電話をして、実は数回しか会ったことのない方でしたが、快く迎えに来てくれました。当時としてはめずらしいホワイトアスパラガスを、内灘砂丘で栽培する仕事をしていた人でした。缶詰のアスパラガスは高級品でしたが、それをもらったことが良い想い出です。それ以来、たまにぷらっといなくなると、親も「またどこかに行っているんだな〜」と思っていたようです。
神田先生:私は小学生くらいの時、昆虫の図鑑が大好きでした。東京に生まれ育ったので、実際に昆虫を見る機会がなかったので、蝶の絵などを見るのが好きでした。そして将来はこういう関係の仕事に就ければいいな〜と思っていました。その後、小学校2年生で大阪万博に行く機会があり、岡本太郎の「太陽の塔」の進化の系統樹を見た時に、「こういう進化の勉強が出来るところに将来行きたい!」と思いました。
広報課:女の子で昆虫や進化に興味を持たれるのはなかなかめずらしいと思うのですが。
神田先生:私は三姉妹の真ん中ですが、私だけ「変わり種」と言われていました。親戚の中でも研究所勤めは私だけです。太陽の塔の「人類の進歩と調和」というフレーズが大変魅力的で、印象深かったです。後日談ですが、私の息子が同じ年くらいの時に、愛知万博の「冷凍マンモス」を見せたのですが、すっと素通りしてしまい、無反応でがっかりしてしまいました。息子は虫も動物も嫌いで、男の子が生まれたら虫取りに一緒に行けると思っていたのですが、全く興味を示してくれませんでしたね(泣)。
広報課:このお仕事をしていなかったら何をしていたと思いますか。
理事長:私はSFに興味があり、物理学が大好きだったので、状況から言って物理学者でしょうか。実際は医学部に入ったのですが、湯川秀樹さんに大変シンパシーを感じていて、物理学をやっていたのではないでしょうか。
神田先生:本当のことを言いますと、子供の頃からこの仕事以外考えていませんでした。私は、畑正憲さんが大好きで、大学の卒研は彼の出身講座に行き、大変満足しました!ですが、他の方からは、保険の営業など人と接する仕事の方が向いていたんじゃないの?・・・と言われます。自分では、内弁慶だと思っているのですが(笑)。
いきなりの理事長対談と言う事で、神田先生は少し緊張をされていたようですが、会話が進むうちに普段の神田先生に戻られました。自分の事として放医研のあるべき姿を考える良い機会となりました。ありがとうございました。
終始和やかな対談となりました
広報課
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