研究

線量10mGyの放射線が正常ヒト細胞の蛋白発現に影響
HiCEPを使った共同研究で明らかに



現代は、医療をはじめさまざまな分野での放射線の利用がすすみ、業務従事者でなくても、多くの人が放射線に被ばくする機会が増大している。我が国では医療用CTの使用頻度が顕著に高いことが海外の有名専門誌によって指摘されたのはまだ記憶に新しい(文献1)。航空機の利用に伴う宇宙放射線への被ばくや密閉度の高い家屋でのラドンによる被ばくなどの自然放射線源による被ばくの増大も懸念されている。たとえ、このレベルの放射線の影響が無視できるとしても、さまざまな産業や技術の発達にともなって発生する新しい生活環境と複合的に影響する可能性について評価する必要が生じるであろう。そのためには、これまで十分に研究されていなかった1-10mGyレベルの低線量放射線が生体にもたらす変化を正確に把握しなければならない。これを目標に、放射線安全研究センターの8人の研究者が共同研究を進めていたが、このたび、これまでの低線量(100 mGy程度)といわれてきた放射線のレベルをはるかに下回る10 mGy(注1)環境下での生体変化を、特定の蛋白の発現変化としてとらえることに成功した(文献2)

■ 研究目標の解析手法

これまで低線量放射線の生体影響メカニズムの研究を難しくしていた最大の原因の一つは、このレベルの放射線に対する生物応答の検出が実験的に難しいことにあった。研究チームは、まず10 mGyの放射線に対して、ヒトの正常に近い培養細胞がなんらかの遺伝子の発現誘導を示すかどうか明らかにすることを目標にした。この条件では、遺伝子発現の変動は既知のものでもせいぜい数倍程度しか期待できない。また、ゲノムデータベースに登録がない未知の転写産物が応答する可能性がある。この解析には、放医研の安倍(放医研、先端遺伝子発現研究センター長)らが開発した高精度網羅的遺伝子発現解析技術(HiCEP法)の使用が最適であると考えられた(文献3、4)。同技術によって同じ条件のサンプルから得られる発現プロフィールの再現性は極めて良好なものであり、発現が変化した遺伝子は、図のように、異なるサンプルの発現プロフィールの重ね合わせによって見つけだすことができる(図-1)

図-1 HiCEP遺伝子発現プロフィールの一部

■ 実験の結果と応用への期待

さて、同研究チームが人体への影響を推測するための正常モデル細胞として採用したのは、ヒト胎児肺繊維芽細胞の初期培養系(HFL III)である。染色体の数は正常の46本で、高い線量のX線(2Gy)に対しては、DNA切断に対する生体応答として知られるCDKN1A(P21)遺伝子の発現増加が確認される。また、培養皿一杯に培養すると増殖をとめる正常細胞の性質を保持している。今回の実験は、細胞が培養皿一杯になった状態で、10mGy (線量率60mGy/min)のX線を照射して、1時間と2時間経過した時点でmRNAを抽出し、それぞれの遺伝子発現プロフィールを作成した。同プロフィールの作成には、メッセンジャースケープ(株)のMSプロファイリング受託解析を利用した。照射したサンプルと照射しなかったサンプルの間で遺伝子発現プロフィールを比較し、被ばくによって発現量が少なくとも2倍増加する遺伝子に着目した(図-2)参照。

図-2 放射線安全研究センター共同研究の実験手順

照射サンプルと非照射サンプルとの間で、約23,000種類の遺伝子についてそれぞれの発現量を比較したところ、照射後1時間と2時間の両方で発現増加を示す10個の遺伝子が見つかった(図-3)

図-3 23,000遺伝子の発現量を照射・ 非照射のサンプル間で比較図において、一個の点は同一の遺伝子に対するサンプルの解析結果をあらわしている。それぞれの遺伝子について、照射しなかったサンプルでの発現量(横軸)に対して、照射されたサンプルでの発現量(縦軸)をプロットした。対角線上に乗るほとんど全ての点は発現量に差が見られなかった遺伝子。今回同定されたのは、照射によって発現が顕著に増加した10個の遺伝子(赤色の点)

これらのcDNAの一部を単離して塩基配列を決定したところ、ほぼ全てが、外界の刺激に応じて細胞が分泌する蛋白質のmRNAに由来するものであった。とくに、共通の受容体(CXCR2)を介して細胞増殖や血管新生を促進する生理活性をもつ蛋白質(C-X-Cケモカイン)が3つも含まれた(図-4)

図-4 10mGyのX線照射で2倍以上の発現増加を示した遺伝子の例

これらケモカインの遺伝子はX線を照射しなかった細胞でも発現していたが、10 mGyのX線照射によって、照射後1時間以内にその発現レベルを2-3倍まで増加することが明らかになった。これに伴い、同mRNAがコードする蛋白質から予想された機能の発現(別の細胞への増殖促進効果)も確認された(図-1図-5)

図-5 低線量X線 (10〜50mGy)に被ばくしたHFL III繊維芽細胞の培養上清は、CXCケモカインに特異な受容体をもつテスター細胞 (A375)の増殖を亢進させた。

この小さな線量(10mGy)の放射線によるCDKN1A(p21)遺伝子の発現増加は検出できなかったが、一方、CDKN1A(p21)遺伝子の発現増加が検出される線量のX線(2Gy)によって、CXCケモカイン遺伝子の発現増加は観察されなかった。これらの結果は、これまで具体的な根拠に乏しかったが、「電離放射線の線量や線量率の違いによって、関与する細胞の分子機構が異なる」ことを示した。このように、本共同研究で用いられたストラテジーは、今後、生体効果が互いに異なることが知られている電離放射線の種類・線量、照射方法の間で、関与する分子機構の違いを明らかにするための有力な手がかりを与えてくれるに違いない。また、関連する生体分子は、新たな分子標的として、画像診断や放射線治療の分野での応用が期待できるであろう。低線量の人体影響に関して、今回の研究で観察された現象がもつ意味を知るためには、さらに、多くの組織や個体のレベルでの研究が必要である。長期的/継続的な極低線量放射線被ばくの発がんへの影響や、実験に用いたレベルの低線量放射線に関して昔から知られていた放射線の「ホルミシス」効果(低線量放射線被ばくによる、より高い線量の放射線に対する適応や免疫賦活効果など)など、解明しなければならない問題は多い。

(藤森 亮 研究員、比較環境影響研究G、放射線安全研究センター)

(注1) 10-50m Gyの放射線は、トータルの被ばく線量として、太平洋上空高度10,000メートルを旅客機で1往復するときに受ける自然の放射線に比べて数百倍高く、がん治療に用いられるX線(がん細胞を殺す線量)に比べて数千倍低い。法律では、公衆の一年間の被ばく線量限度を10m Gyのおよそ10分の1に相当する1mSv(ミリシーベルト)に定め、放射線を業務として扱う区域(医療施設も含む)では20mSv/年と定めている。今回の実験の場合、細胞は後者の半分の線量を僅か10秒間で受けたことに相当する。

<参考文献>

  1. Berrington de Gonzalez, A. & Darby, S. Risk of cancer from diagnostic X-rays: estimates for the UK and 14 other countries. Lancet 363: 345-351 (2004)
  2. Fujimori, A., Okayasu, R., Ishihara, H., Yoshida, S., Eguchi-Kasai, K., Nojima, K., Ebisawa, S. and Takahashi, S. Extremely Low-Dose Ionizing Radiation Upregulates CXC Chemokines in Normal Human Fibroblasts. Cancer Res. 65: 10159-10163, 2005.
  3. Fukumura, R., Takahashi, H., Saito, T., Tsutsumi, Y., Fujimori, A., Sato, S., Tatsumi, K., Araki, R., and Abe, M. A sensitive transcriptome analysis method that can detect unknown transcripts. Nucleic Acids Res. 31: e94, 2003.
  4. 安倍 真澄、福村 龍太郎、高橋 宏和、中原 真希、斉藤 俊行、藤森 亮、荒木 良子「次世代遺伝子発現プロフィール解析法」蛋白質核酸酵素48(共立出版): 1443-1449, 2004.

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