エッセイ・ぱるす NO.48
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放医研にはいろんな国の研究者と国際共同研究をされている研究員の方々が非常に多く、すばらしいことだと思っています。外国の研究者との間でうまれるほのぼのとした話題をお聞きする機会がないかと思っていましたので、そのきっかけ作りという意味を込めて私の1例を紹介します。 私が放医研にやってくる前年(2000年)の夏に、オブニンスクにある国立医学放射線研究センター(MRRC : 写真)から一人の女性研究者・タチアナ(Dr. Tatiana Kondrashova)さんが広島の放影研にやってきました。分子生物学的技法を学ぶために短期(3ヶ月間)留学で来広されたわけです。ひょんなことから、私が彼女のお世話をすることになりました。緯度の高いオブニンスクで育った彼女は広島の夏の暑さにはかなり参ったようです。しかし、すごく頑張って仕事をしていました。いつ帰宅して、いつ寝ているんだろうと不思議に思ったくらいです。帰国前夜に彼女の送別会を持ったのですが、当時高3だった私の娘とワイフとタチアナさんの3人が日ロ間の大学受験システムのことで大層盛り上がりました。当時、彼女の息子さんも大学受験を控えていたのです。ロシアでも都市部での受験戦争は大変厳しいそうです。普段とはちがって、タチアナさんがすっかり教育ママの顔付きになっていたのが思い出されます。受験生を持つ母親の顔付きは日本人もロシア人も同じです。 タチアナさんと知り合う前の私は、ロシアは日本と全く政治体制が異なり、日本人には理解できない人種が住んでいる国、という非常に誤った先入観を持っていました。皆さんの中にもこのような先入観をお持ちの方がおられませんか?日ロ間には解決しなければならない多くの政治的問題があることは衆知の事実です。しかし、たった一人の友人と電子メールを経由しての情報のやり取りをするだけで、まだ一度も行ったことのないオブニンスクが私には非常に身近に感じられるのです。本当に偶然の、しかしすばらしい出会いがあって、オブニンスクに素敵な友人を持つことができたことに私は誇りすら感じています。 最近、タチアナさんとの共同研究の最初の成果がBBA-Molecular Basis of Diseaseに受理されました(オンラインでは既に発表されています)。この論文にはMRRC所長のA. Tsyb教授も共著者となっており、私にとって非常に光栄な論文となりました。 【 追 記 】オブニンスクはモスクワの南西約100kmに位置する、人口約11万人の町です。1954年にはロシア(旧ソビエト)で最初の原子炉施設が建設された地でもあります。 現在では12の研究所を抱え、ロシアの科学界をリードする中心地ともなっています。MRRCは、1962年に設立されました。現在は3部門で構成され、Anatoly Tsyb所長の下で1,600人以上のスタッフが働いています。放射線の医学・生物学的影響を調べる研究から、チェルノブイリ事故での線量評価・放射線リスク評価にいたる広い領域の研究を続けています。MRRCは400床の病院も併設しており、臨床外来への訪問者数は年間30,000人以上にのぼり、年間5,000人以上の患者(そのうち、70%はがん患者)の治療にあたっています。 (フロンティア研究センター 伴 貞幸) ![]() オブニンスクにある国立医学放射線研究センター |